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ホモ・サピエンス ニューロマトリックス
Maurice G. Dantec / Interview by Nancy Monga,
1993年、“紅の人魚”衷o版。その本は、推理小説界を震撼させた。
1995年、“悪の起原”棟o版。SFの常識をくつがえした。
そして1999年4月、文学界を圧倒する、全く新しい小説が生まれた。“バビロン・ベイビーズ”狽フ出版である。
この三部作はフランスの作家、モーリス・ジョージ・ダンテックによって生み出された。
“バビロン・ベイビーズ”
東から西まで、シベリアの実験室からカナダの森林までを巡り、トラブルバスターである戦争に傷付いた兵士が、マリー・ゾーンー世界の全ての謎を内側に抱えているような若い精神分裂症患者の女性ーを、移動させる旅の過程の物語である。重装備のマフィア、マッドサイエンティスト、狂ったバイカー、入れ墨の女、天才ハッカーたち…交錯する世界に私たちを引き込みながら。
ゲリラ、科学、幻覚そしてめまい…私たちは、武者震いが起きるようなプラネタリー・カオスの美の世界に誘い込まれてゆく。
この複雑系のトポロジーにおいて、ダンテックは文字による向精神作用を生じさせている。
ジェレミー・ナービーとウィリアム・ギブスン、あるいはジル・ドゥールーズとテレンス・マッケンナのハイブリッド…。ダンテックは量子的神秘主義、分子の詩、そしてニューロン・テクノロジーをアシッド・ポリティクスとともに導入したのである。
それはデジタル・バイブレーションのスクラッチであり、光り輝く主観主義のサンプリングであり、モーフィングによって再構成された存在なのである。インタビュー
1.
ダンテックとサイバースリラー、ダンテックとSF…あなたは、作品をこのように分類されるのをさけているように見えます。あなたの作品は、あらゆる方向性を含んでいます。あなたの作品を、非常に傑出した面白いものにしているのは、まさに文学のすべての定義を越えたからなのではないでしょうか。SF的であるというレベルで、あなたを外挿法的作家だと呼ぶことは、フェアーに思えるのですが。つまりあなたは、今日のリアリティーの範囲を考慮しながら、既知の事柄から未知の事柄を推定し、それらを含む未来を想像しようとしているのではないでしょうか?
1
私が、何とかして、これらの致命的な分類から逃れようとしているという意見を、どうもありがとう。けれど、それは故意にやっているというわけではありません。一連の作品は、私の文学活動の中からダイレクトに現れたものです。私にとって、作品は未だに発展段階にあるのです。それから、あなたが“外挿法的”だと呼ぶ点に関してですが、60年代や70年代の“空想的”な予想や80年代のサイバーパンク、SFと呼べれるサブカルチャー的なジャンルに属した小説などは、まさに私が創作してみたくてたまらない“トランスジェニックな文学”ーリチャード・ピニャが(fin
de siecle french culture) で言ったように(“変容の文学”のプロトタイプなのです。ディック、バラード、ムアコック、ハーバート、スピンラッド、ブラナー、スレイデック、ディッヒ、ギブスン、スターリング…その他多くの作家たちは、皆そうなのです。もちろん、今世紀後半のアメリカや西洋の素晴らしいコミックスのカートゥニストたちもです。彼らはこの“分析”ーこの観測を、作り事を超えた、より明確な神話、現実の一部のような文学へと一変させることができたのです。
2.
“バビロン・ベイビーズ”はまるでハイパーテキストのような働きをもった作品です。“悪の起原”の献呈においてしたように、あなたは参考文献やコンテクスト・リンクなどの構成要素をあげています。実際、あなたは小説のなかで、数多くの本を引用し、タイトルやバンドを具体的に挙げながら、音楽環境を示唆しています。本は枝分れし、現実世界のフラクタルな要約となっています。“バビロン・ベイビーズ”は本当に進化した文学です。おそらくそれは、文学の来るべき姿のモデルであるといえるでしょう。あなたは以前、CD-ROMの制作携わっていたとお聞きしましたが、そのことについて聞かせていただけますか?
2.
あなたの御理解にあらためて感謝したいと思います。おっしゃる通り、あの本に挙げた情報は、全くのところ、一部のフランスのマスコミが言っているようなペダンチックなものなどではないのです。また、“悪の起原”の着想も、内容が響き合うような形を発見したことにあるのは明白です。あるいはむしろ、一つの文学装置ーその構造、そして原動力ーを連体的に(あるいは、ドゥールーズなら解体的と言うだろうが)創りだしたのです。それは、電子ネットワークやその中で発達した多様な実体がするように、意識のネットワークの、リゾーミック浮ネ形状をフォローするようになるでしょうね。カーティー・ネグラ(the
cartea negra)やその他のデータベース、リアルなものや、虚構のもの(たとえば、“イリーナ・グラナーダの発禁図書館”魔ネど)までが、この、小説になりたくてたまらない風変わりな熱力学的装置の“要素や断片”でなければなりません。私は、数年前にCD-ROMの制作に関わりました。それは、短編“そこは天使が落ちた場所”翌フような短編を多少翻案したものでしたが、いくつかの理由で完成しませんでした。私が思うには、本とは、特殊なテクノロジーであり、CD-ROMやそれに続くものは別物なのです。おそらくそれらの接点、あるいはインターフェイスにおいて、なにか新しいものが生まれてくるでしょう。それは今も定義され続けているのです。ある程度の物語りの文脈(その結果としての)は保たれながら、確率的、定量的ネットワークの中で創造できる限りの方向に展開してゆくことができるでしょう。
3.
あなたは、長いこと音楽に密接に関わっていましたね。あなたにとって音楽は何か特別なもののようです。ロック、パンク、インダストリアル・ミュージックやコールド・ウェーブなどの様々なグループで活動なさっていました。リチャード・ピニャとの“スキゾトロープ”でのコラボレーション以降、そういった音楽へ傾倒されていますね。エレクトリック・ミュージックと文学作品においてやっていることが、どういう形で関わりあっているのか教えていただけますか?
3.
稀に見るクオリティーだった、最近のインタビュー“脚本家のおしゃべり(Gazette des Scenaristes)”において、小説家のジャック・バルビエリ氏が次のような質問をしました。“あなたの小説の濃さ、つまりおびただしい数の参照はハイパーテキストを想起します。あなたは‘テクノライター’として意識のスタジオのドアを開けて、現実の一こまをサンプリングし、シークエンサーとなり、フィルターとなって、周波数を変換することについて考えてみてくれませんか?”。私は、私がやろうとしているのは、まさにそう言うことなのです、と答えました。“悪の起原”の執筆中に意識に浸透し始めたプロセスは、“バビロン・ベイビーズ”において完全にオペレートされるようになりました(未だにテキストの中の数多くのエラーを修正しなければならないとしても)。私は現在本気でエレクトリックハイパーテキスト・システムを創ることを思い描いています。それは、心に描いた小説の‘神経中枢’の周りに拡散するのです。そして、いくつかの話の輪郭を、進化するフレームワークにおいてテストすることを可能にする定量的、確立的統計モデルの利用することで、最も強烈な経験、審美的な話しに導くひとつを選べるようになるのです。
4.
“バビロン・ベイビーズ”において、技術とはバイオ・テクノロジーでした。私たちは現実に人と人間のハイブリッドを眼にしようとしています。“10 オンタリオ サイボーグ・ソサエティー”のくだりで、バンカーは、バイオニック・インプラントのキャラクターとして、またセクシャリティーにおいても能力がある人間型ロボットとしてそういう雰囲気を醸し出しています。私は、それは、文学における奇抜な着想やサイバーカルチャーを参考にしたようなものなどではなく、人類の進化において確実に可能性のある方向であると思います。写実化したマシーンナイズ。あなたはマーク・ポーリーヌと彼のサバイバル・リサーチ・ラボラトリーやステラルクとアンダーグラウンドの“モダン・トライバリズム”はもちろん、すでに外科的な人工補綴などで眼にすることができる、この変化についてどう分析していますか?
4.
改めてお礼を言います。どうも、ありがとう。あなたは、ケベックのニ紙をのぞいて、その審美感覚や科学知識のクリティカル・マスを人類に融和させようという人類学的な意図を言及してくれた唯一の人です。そして、来るべき点火装置が形而上学の混沌から湧き出て、枝分れしている知識の関係性を徐々に近づけ、よりオープンにしながら、それらを紡いでいくのです。私は特に、分子生物学、情報科学、そして量子物理学のトライアングル・フォーメーションについて考えています。マーク・ポーリーヌやステラルクのような人々によって描かれているサイボーグ・アドヴェンチャーについて、わたしの基本的な考え方をお話しましょう。小説家の観点であることは、重要ではありません。彼らが間違っていようといまいと、彼らが人間のからだを補完するような機械を想像するときーもはやそれは時代遅れとなりましたがー私にとって重大なのは、彼らが自分の経験的世界からトランスフォームし、それゆえにいくつもの技術的問題点とともに、いくつもの形而上学的な疑問を現出するということです。それは小説家にとっては、もはや許されず、無視することが出来ないようなことなのです。あなたがおっしゃったものでは、アンドロイドのセクシャリティーや社会的にプログラム制御された人類などです。けれども、私は一つのことを付け加えたいとい思います。アイロニー、少し自嘲的なユーモアは、いまのところ、私たちが本当に、この風変わりな“シアター・オブ・オペレーション”ー肉体と機械が互いに求め合い、互いに超越し合う方向ーにアプローチするのを望むときには、必要なものなのです。
5.
あなたの小説はヴィジョンに溢れています。マリー・ゾーンの精神分裂病的幻覚、トゥーロップのシャーマニズム的幻覚、コミック版の“ジョー・ジェーン”ーあなたのニューロマトリックス…
向精神性のドラッグにあなたが与えているポジションは大変興味深いですね。それは、非常に強力な知恵の道具として摂取されます。その部分において、あなたは、現在のあらゆるアンダーグランドを利用しています。たとえば、ジェレミー・ナービーやテレンンス・マッケンナなどのような。アシッドやD.M.Tからあなたはどのような影響をうけましたか?
5.
私がアシッドを始めて摂ったときーたしか16歳くらいですがー私はすでにドラッグやディックのような、幻覚に関するカウンターカルチャーの本をむさぼり読んでいたのです。とはいえ、トリップはどれもたいしたことはありませんでした。いつも私を‘メモリー’とともに置き去りにするのです。とても強烈な宗教的経験、フラクタルに凝縮した人生、宇宙や私たち自身の脳ー私は瞬時に理解したのです。異なった幻覚剤が私たちのアクセスを可能にしていると。あなたは、このレベルの意識を、望めば何でも呼び出せますが、リアリーやマッケンナ、ナービーのような案内人たちは別として、この領域は未だに探究されていないのです。私にはそれがなぜだかわかりません。このテーマに関するタブーは、人類をその未来から、その歴史のはじまりから、そしてその終焉から引き離している最後の領域なのです。ドラッグを禁じることは、彼らが失ったものは何なのかということに直面した、精神分裂病予備軍の社会の、最後のプロテクションなのです。しかし、ニューロテクノロジーは、この数十年で、シリコンバレーやその他から実際にに始まりました。第三の種の資本を、このブラック・ゴールド・ラッシュ、新たなるシリコンを止めるものは、何もないでしょう。次なる大事件までのしばらくの間は。その事件こそ、最後の事件となるのでしょう。人類は、ダーウィニズムのピリオドをむかえるための扉を開くのですから。くらべてみれば最後の審判は年次試験のシンプルな終わりのように見えるでしょうね。
6.
テクノーシャーマニズム…古代の神話や偉大なる宗教書にインスパイアーされたあなたの作品は、神秘主義的な探究を内包しているのですか?
6.
もちろんです。それと同時に、この知恵に向かう旅に関する、冷静かつ、なくてはならない科学的解釈も探しているのです。言われたこと、書かれたこと、見せられたことの全てを信じこまされる必要などありません。明晰さは、常にわずかな確固たる法則とともに、残されるのです。人類は、その状態の多くを欲求の中に置いている、進化の過程にある生命体だと見ています。神話が真実から生まれること、そしてそれらが精神的価値、たとえば、ヒエラルキーなどの系統的プロセスを指し示しているのを知ること。神(あるいは、宇宙のシステムや理論的表現など)の中に、コンプレックス、パラドックス、それから、世界を人類向きに教化するための、人類による危険な創造物を見ること。このメタモラルでニーチェ的な神の認識が、そこにフォースが存在することー自然、宇宙、私たちの脳、そして、疑う余地なく私たちのいのちーを知るのをとめることは、絶対に出来ません。サイケデリック・ドラッグは、そういう世界を初歩的に垣間見ることを可能にするのです。この宇宙、この自然、形而上学的な大惨事に見える人類などが、無や第一原理から、ただ出現してきたわけではないことは明らかなのです。せめてそのイベントのーユニークで小さな特異点から飛び出し、ビッグ・バンと呼ばれるそのイベントの贈り物は何なのかと、言わせてもらいましょう。このようなことは、人類の脳やその手腕によっても達成できるものとして考えるべきなのです。
7.
ニーチェに触れられましたが、あなたは、スーパーヒューマンに引きつけられているように見えます。人はサルと超人の狭間をうめるもの、フロンティア、あるいはインターフェイス…。人間性の屍の上で、あなたは、新たなる存在方法や新たなる主観などを生み出したのではないでしょうか。あなたはどうやって、フェニックスを垣間見たのですか?
7.
思考は時々、時空という伝統的な制限を超えて、つながったり、返事をしたりします。いのちと時間の深みによって伝搬した、一なる場所において。私はニーチェについて語り、あなたは次にここでニーチェによって質問を始めました。私は、あなたの質問に一つずつ答えます。よくやるように、先を読まずに。フェニックスはマリー・ゾーンなのです。どんな場合でも、彼女は自分自身と多様な経験がランダムに交錯する場所ークリティカルマス・トライアングルが上述したものを一つにしている場所ーにおいて、再生された彼女の娘たちを崩壊させた、ファースト・プロトタイプなのです。彼女たちは、最終的に人類、宇宙そしてヒューチャー・ノベルから分岐してゆく‘枝’を誕生させるために、彼女たち自身を崩壊させることに微塵の疑念すらないのですから。注釈:
1.“紅の人魚”モーリス・G・ダンテック著、パリ、ガリマール出版。
2.“悪の起原”モーリス・G・ダンテック著、パリ、ガリマール出版。
3.“バビロン・ベイビーズ”モーリス・G・ダンテック著、パリ、ガリマール出版。
4..ジル・ドゥールーズ&フイリックス・ガタリによる概念‘リゾーム’:‘根茎’を意味する。樹木あるいは根のような形態で、特権的中心やヒエラルキー構造を持たず、それぞれが異質でありつつ、絶えず他の異質なものと接合され、‘多数多様体’を形作っていくもの、とされる。彼らは、政治組織のモデルとして取りあげている。
5.“悪の起原”に挿入されている架空の日記。
6.“そこは天使が落ちた場所”1995年の夏に、フランスの新聞“ル・モンド”誌に掲載された小説。
7.70年代のカルトエレクトリックグループ“ヘルドン”の創設者であり、ジル・ドゥールーズのウェブサイト(http://www.imaginet.fr/deleuze0のウェブマスターである、リチャード・ピニャがニュー・バージョンの“ヘルドン”を従え、また“スキゾトロープ”ーコンセプチュアルなポスト・インダストリアル・ミュージックとヴィジュアルのグループーの仕掛け人として復活し、現在“マリー・ゾーン・ツアー”中である。
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